高校時代の実録

毎日を過ごして、感じたことを日記のように文章にしていこうと思います。

8.神聖なる恋

   その後を言うと私は生きながらえた。もう私は腹に決めていたので、空港で解散した後、ゴロゴロとキャリアバックを転がして出口の先にある埠頭を目指した。その時ある声が後方より私を読んだ。妹であった。帰ろうと言うので私は言われるがままに駐車場の母が待つ車へ乗って帰宅した。家を懐かしみ、しばらく落ち着いてテレビを見るというわけでもないが眺めているともう死ぬという考えは消えた。さらに、直ぐに四月を迎えて課題だの考査だのに追われる身となったので、彼女への想いは多忙に雲隠れした。その後の彼女との関係に関しては今は多くを語らないでおこう。苦しみはその後も度々私を襲っている。この苦しみは、天が与えた私の愚かさへの罰であろう。今告白するが、中学時代彼女のことを好きだということを周りに悟られないように、色恋沙汰に関しては沈黙を保っていた。彼女のことを好きだと言う人は掃いて捨てるほど転がっていたので、周りに悟られるないでいれば、私は敵を知っているが敵は私を敵とは知らないという戦況を築けると、中学生でありながら決戦の時に備えていたのだ。また、彼女に告白をして砕け散った奴には内心お前はダメだったかと同情し嘲笑してやったりもした。そいつには成績で負けようが可哀想な奴と位置付けていたので負けた気がしなかった。私は愚かだ。罪人だ。罰を与えるべきだったのだ。人道というものを知るべきであったのだ。しかし、これらのことは次に挙げる本当の罪に比べれば友人のの財布から百円を盗み取る程度のものである。

 

   本当の罪、それは愛人を傷つけたことだろう。鳥居の下で彼女に想いを打ち明ける際や、ガレージで話をする時に彼女を思いやるべきであった。必要なのは物質的気遣いではなく精神的気遣いであった。さぞ苦しかっただろう。私は先ほど自らの苦しみをここに書いたが、実際は私の数倍彼女は苦しみ枕を濡らしただろう。酷く反省する。男子たるもの愛人に身を捧げて、幸せにするべきだと私は考えている。私は人間失格。男子として人間の一生を全うせよと生まれた時に命を下されたが、十七年も経たずに破戒、情けない。女性に私と人生の一部分とはいえ共に生きて欲しいと言うのであるから、軽々しいものであってはいけないのである。
恋は神聖、軽々しく踏み入れてはいけない地なのである。
   fin

7.薬害

その日の十九時頃、私はすでに食事会の集合場所である少しひなびた感じのする中華料理店で友人たちと会っていた。友人たち(友人と呼べるほど親しい人は数少ないが)は入学から丸一年で起こった思い出について終始楽しそうに話していた。しかし、私はというと、そのような余裕はなく、彼女のことを思い、ごく短いインターバルで携帯に目を落としていた。


   あの時、私はあまりの焦りから記憶が多く残っていない。彼女は元の関係に戻らないかと言ったのだ。そのことに対して、私は嫌で嫌で仕方がなかったため、必死になって私の考えを言い聞かせた。君が私のことに恋愛感情を持っていないというのは元より承知している。ただ、これから私のことを好きになってくれればよいのだ。私は努力するつもりだ。君が私のことを好きと言ってくれるように精一杯の努力をするから、どうか、そんな事は言わないでおくれ。私はおそらくこのようなことを言った。やっぱり優しいねと彼女は言った。しかし、関係を終わらせるという考えを取り除くには至らなかった。彼女は時間が欲しいと言った。しかし私は明朝にアメリカへと短期留学で旅立つ定めであったのだ。時間のない私は今晩電話をかけてくれるように頼んだ。彼女は曖昧な返事をしたが私はもう一度話す気でいた。今の彼女をここに残して旅立ってしまうと、帰って来る頃には消えて無くなってしまっているのではないかと危惧したので、旅立つ前に彼女を言い聞かせたかったのだった。


   こういう経緯によって、私は今のような落ち着きのない状態に置かれているわけだ。しばらく私はエビチリだの唐揚げだの皿に並べらた中華風の料理を食べていたが、まるで味がしなかった。また、両隣には親友が座って、いたずら話だの武勇伝だのを面白おかしく語ってくれていたが、両耳のトンネルが開通してしまったのか、内容が頭に留まることを知らない。ずっと彼女のことを考えていたい私は多少の苛立ちを感じつつあったのでお手洗いに逃げ込んだ。鏡にはぶっきらぼうな私の顔が映っている。もう終わりまでここにいようかと考えた。しかしここで、携帯を見てみると彼女から今なら電話に出れるというメッセージが届いていた。私はすぐさま電話をかけたかったが、ここでは話しているのを他人、あるいは知人に聞かれる恐れがあったので、店外の駐車場まで走ってからかけた。

 

   十コールほど鳴った後、彼女は出た。私は、多忙にもかかわらず電話に出させてしまってすまないと一つ謝ったのちに、説法を始めようとしたが、手洗いから飛び出してそのまま電話をかけたので頭が整理を必要としていた。しばらく沈黙してしまい、何か喋らないとという焦燥に駆られ、例の喋り方になってしまった。まるで何を言っているのか分からない。しかし少しすると辛うじてまともになった。そして私は、脅し文句のようなことを言い放った。私は君が思うほど優しくはないんだ。君が私との関係を元に戻したいというなら、今後君とは会わないつもりだ。もちろん出かけたりもしない、と言った。しかし、私とこれからもベタナギの関係を続けたい彼女にとってはひどい仕打ちのようなものだろう。もちろん私は仕打ちなどをしたいと思ってるわけではない。彼女を愛しているから、愛しているからこそである。彼女が言う、今までの関係を続けるとは、これまで通り出かけて、これまで通りご飯を食べて、これまで通りの会話をすると言うことであろう。私は辛かった。それは彼女の方が辛いのかもしれないが、私も愛す人と一緒に出かけてもこれまで通りの領域でしか彼女と接することしかできないと思うと相応の辛さがあった。私はこれまで知れ得なかった彼女が知りたいのだ。幼馴染という領域の外へ踏み入れたかったのだ。しかしそのことが、愛していると言うことをうまく言えなかった。また例の喋り方に戻ってしまった。まるで気狂だ。意味のないことを繰り返し言った。気狂という自覚がさらなる混乱へ私を招いた。そして、私は話を切り上げてしまった。


   とても後悔した。翌日、空港へ集合時間の二時間前に着いたが何もすることがなかったために、悔恨の念に溺れ苦しんでいた。きっと彼女は悲しんでいるだろう。なぜ、純粋で傷つきやすく、さらに部活のことで精神的に辛いであろうと気づいていたのにもかかわらず、あのようなひどいことを言ってしまったのだろうか。最後にもう一度会いたい。彼女は帰国後には返事を伝えると言っていた。返事を宣告される前に私は今一度謝った伝わったであろう私の気持ちを伝えたいと切に願った。しかし、それは叶わないのである。私は3週間ほどの短い期間であるが、日本を発った。


   私は向こうでなかなか上等な生活を送らせてもらった。私とホストとの趣味が合ったこともあって、良いようにしてもらった。序盤、彼女のことが気になりはしたが、異言語空間というこれまでに行ったことのない場所が私の神経を半強制的に酷使させたのであろうか、宵は思索に耽る暇もなくベッドの上に倒れ込んではすぐに眠りに就いた。滞在も終わりが1週間後に迫る頃、余裕が出てきた私は彼女に、電話させてくれ、日本が12時ごろの時にかけようと思う。差し支えないか?、とメッセージを送った。二十四時間ほど経過した頃返事が来た。今なら大丈夫だよ。私は、サクラメントの高校へと留学生として通い授業なども受講していたのだが、私のリスニング力は乏しく、授業中は暇を持て余していたので、彼女と話せるならばどのようなことを話すか考えていた。その甲斐あって、今度こそまともな人間のように話す自信はあった。そして夜、自室で1人電話をかけた。


   また、私は何度も電話してすまないと礼を挟んでから話し始めた。今度は人間のように話せて、話し終わると少し安心した。これで彼女は考えを変えてくれるだろうと思った。その矢先である。彼女は大方考えを固めていたのだろう。もう遅かった。正直私の言葉がどうであれ、宣告を行なうつもりであったのだろう。もうあなたとは付き合うつもりはない。あっけない。今まで彼女の進路を変えてやろうと必死になっていたが徒労に終わった。あぁ、そうか、仕方ない、そうか、すまなかった、このような言葉を並べ早々に別れた。中華料理店のガレージの時とは違い後悔はなかった。特に感情がなかったが終わりだと悟った。もともと幻想だったのだ。私が彼女と付き合い、堂々と愛でるなどそんなユートピアは幻想であると心中感づいていたのであろう。だから私は無感情。しかし、無感情と言いつつも目が潤い、手足が震えている。気候のせいではないだろう。幻想という麻薬が私の体に麻酔をかけているのかもしれない。とすれば麻酔のせいで無感情になり、副作用で手足をガタつかせているのだ。私はベッドで横になり、目を瞑っていた。しばらくすると麻酔が切れた。静かにめから一滴の水がこぼれた。悲しみ、苦しい。帰国しても誰も待っていないように思われた。

 

   その後、なんとなく過ごし、帰国の日を迎えた。二者択一、生きるか死ぬか、いつからかこのようなことを考え始めていた。このまま悲しみに暮れて積極性など放り捨て漂うように生きるか、もしくは、帰郷してそのまま太平洋に身を投じるか。そのようなことを考えて十三時間ほどのバスと飛行機を乗り継いで三月三十一日の日本に着いた。なぜ失恋したぐらいで自害をするのか、そう思う人が多いだろう。そう言う人たちが恋を経験したか否かは知らないが、失恋の悲しみとは対象者の尊さに応じて辛いものとなると私は信じている。私は彼女を、宗教的にいえばキリストのように尊び、幻想的にいえば童話の姫様のごとく大事にして積年一方通行でありながらも愛を注いでいた。愛国信者が崩御を以って殉死するに近いだろう。

6.決壊

   京都に行ってから少し日が経った三月十四日、火曜日のことであった。私は朝が得意でなかったため、学校の無い日は正午近くまで布団にくるまっているのが普通であった。その日は十一時頃に目が覚めて、いつもどおり寝ぼけた顔で朝ごはんを食べた。そしていつもどおり、観るわけでもないテレビの電源をつけて携帯を見た。すると彼女からメッセージが届いていた。僕と彼女はいつもどちらから話を始めるというのは無く、割合は五分五分という感じであった。しかしここ最近は私から話しかけることが多く、加えて言うとその会話に違和感を感じ、ある不安を感じさせられていた。そして彼女からのメッセージがさらに私を不安のどん底へと突き落とした。今日会えないか、直接伝えたい。とのことであった。たまたま私はその日、十九時より学校の仲間との食事会があっただけだったので、今からならすぐ行けると返信した。すると十分もせずに、分かった、と返信がきた。相当重要なことであったのだろう。
私は大いに不安の淵へと沈んだ。やはり私のことが欲にまみれた人間であると言うことに悟ったのだろうか。あるいは、あの日家に帰って冷静に考えると私と恋人になるなど馬鹿々々しく感じたのだろうか。そんなことを延々と考えながらも、落ち合う予定の公園に着いてしまった。この頃から私の喉は乾き始め、多少の緊張を覚えていた。そして深刻な表情をした彼女が現れた時、私は努めて笑顔になろうとしたのを覚えている。しかしあまりの悲しみに沈んだ彼女の顔を見れば、やはり私も悲しくなってしまい顔も一緒になって沈んでしまった。彼女は急に呼び出したことを詫びて、話し始めた。

 

   「あれから私はずっと考えていたの、私は私の先輩のことが好きだった。今もそうかもしれない。そして私は〇〇(私の名前)の事は、正直言って恋愛的な意味では好きじゃない。友達としてはほんとに、優しくて、面白くて...、友達としてはほんとに好きなの。でもその好きという感情は〇〇が求めている感情とは違うでしょ...」彼女は泣き出した。嗚咽を漏らしながらも、苦しそうに、懸命に、私が知らぬうちに彼女が一人で向き合っていた物を伝えようとしたのだ。「辛い。わたしは申し訳なくってま...、罪悪感でもういっぱい...、〇〇も嫌でしょ?辛いよね、だから...、だから私は......、」

 

   彼女は確かにそう言った。一瞬である。季節外れの長雨は大水を地へ注ぎ、川の水位をこの数日間で限界まで上げた。そして堤防は決壊したのだ。堤防は少しでも壊れてしまえばもう崩壊を止める事は出来ないという。実際私は彼女を慰めようとも話すのが苦手であったから思うように慰める事は出来なかった。彼女の気持ちを推し量っておくべきであったのだ。そうしておけば、堤防の決壊は防げたのかもしれない。続く

5.朱色に照らされて

   境内の鳥居や本殿などは朱塗りにされている。神様の力である豊穣を表しているという。多くの鳥居が境内に並ぶことでおびただしい数の観光客を集めるこの神社は、昼間は歩きづらくなるほど観光客が押し寄せるが、日が落ちる頃にはだいぶ景観を楽しめるようになり、写真も撮りやすくなる。ところどころに設置された電灯の光が朱色を照らし通り道を非常に優美な雰囲気であった。私たちは写真を撮りながらゆっくりと歩き、三ツ辻へたどり着いた。ここでさらに上り続けるか帰路につくか相談した。彼女は、私がどっちがいいかと聞くとたいていどっちでもいいと言う性格であった。やはり今回もどっちでもいいと言ったが、私がもう百五十段ほど上ると見晴らしがいいよと言うと彼女も上ろうと言った。しかし、百五十段は彼女の膝には来るものがあったのだろう。「膝がちょっと痛いな。」気遣いを含みながらもそう言った。今になって思い返せば鞍馬寺の時から痛むと言っていた膝を、鴨川沿いを歩き回り今日は酷使しすぎたのではないかと思え、反省した。元来、運動は不得手であったが一人で自転車に乗り近場を散策したり、あるいは繁華街や歴史的な名所を歩き回ることは好きであったので、一日中このようなことをしていてもへばらないだけの足は持っていた。彼女は強い。スポーツをするにはもちろん圧倒的に彼女の方が優れているだろう。私の足は学校の体育の授業で持久走をさせれば一番最後に白線をまたぐような足だ。しかし長時間の使用が彼女の膝には良くなかった。そう思案に暮れていると目的地の四ツ辻へと着いた。そこには大勢の人が夜景を楽しんでいたがその大多数が男女の二人組であり、私は若干の嫌悪感を抱いたが彼女はそんなものより夜景に興味が入ったらしい。私たちはたまたま空いていたベンチに腰掛け、三十分ほどを過ごした。
    実に綺麗な夜景であった。日没から一時間くらいが経った時刻のことであり、まだ街の音が聴こえてきた。街がまだ寝静まっている早朝とは正反対で、まるで日々忙しく働く日本人を表しているかのようであった。電車のジョイント音や車のクラクションの音、そよ風が木を揺らす音を余韻に浸るように私は目を閉じて聞いた。今日はとても幸せであった。デートが決まった昨日から今に至るまでが一瞬のように感じられる。また、幻想なのではないかとも感じられた。彼女は私の想像していた以上にしっかりしていた。それでいて、素直である。現代の女子のほとんどは寺社仏閣や街並み、生活などで長年日本の中で育まれた伝統的な抽象物に対して、古典文学においてよく言う"あはれ"のような感情を抱くことはほとんどなく、無関心のように思われる。しかし彼女は嫌な顔一つせず私についてきてくれた。私が鈍感なだけかもしれないが、彼女は素直に楽しんでくれたのではないかと感じ、とても嬉しかった。そういう素直なところが私が惹かれる所以であり、可愛くみえのであった。今日は私たちが恋仲であるようであった。まわりの所見からすればこの四ツ辻の広場に群れる奴らと同類に違いなかったのであった。しかし、この幻想ももう数時間もすれば終わってしまうのであった。私は急に惜しくなった。ともに時間を過ごしたい。目的が無くてもいつでも会えるような仲になりたい。もっと彼女について知りたい。私ができるだけのことをして彼女を支えたいとも思った。この熱情は私を罪人にしたのである。この時の私はリスクなどを考える余裕などはなかった。「なッあぁ...」呼びかけてみるも、体が震えてうまく声が出せなかった。悪い癖だ。緊張すると頭が真っ白になってしまい、声を出しても何を入ってるのか理解できないようになってしまうのだ。しばらく私は舌が攣ったかのように沈黙してしまった。一分くらい沈黙しただろうか。私は言った。「帰ろう。」と。そして長いこと座っていたベンチを立った。


   私は言えなかった。これが恋と呼べる恋としては初めての恋だったからかもしれない。階段を数段下りた時、彼女は言った。「さっき本当にいいたかったことは「帰ろう。」なの?」私は驚いたが違うと即答した。もう後には引けなかった。そして、しばらく黙々と階段を下り続け、また三ツ辻を過ぎたあたりで私は言ってしまった。今となっては何と言ったかは覚えていない。できれば事細かに記したかったのだが、あまりの心の乱れで記憶能力が麻痺していた私は境内を出るまでは断片的にしか会話を覚えていない。彼女はまず驚いた。そして間髪入れずに嬉しいと言った。私は答えを聞いた。それに対して彼女は迷いなく「断る理由なんてないよ。〇〇はこれまでに会った人の中でもすごく優しいから。」感極まった。
   その後を言うと、どの点が好きなのかだとか今日その事を伝えるつもりで来たのかと聞かれた。惹かれた理由は何となく濁し、告白する予定はなかったと言う事を伝えた。境内を抜け、駅へと向かう途中彼女は呟く。「夜景マジック...」わけがわからない私は何かと問うた。「雰囲気に騙されてあたかも隣にいる人のことが好きなんじゃないかって錯覚するの。」私は即否定した。もしかすると、夜景がきっかけになったのかもしれないが、好きという感情は元より私が強く抱いていたものであるからだ。さらに言うと私が好きでもない人と二人で出掛けるなどありえないのである。すなわち、好きでもない人に告白してしまうようなバカバカしいシチュエーションなど起こりえないのである。
彼女が乗り物酔いに弱いことから、帰りの電車は各駅停車でのんびりと帰ることにした。私もこの余韻に浸りたく、ちょうどよかった。中書島を過ぎたあたりのことであった。「一つ言っておきたいことがあるんだ...。」私は少しゾッとした。何か先ほどの出来事がひっくり返るようなことを言わないのは明らかであるがその時の私は内心で過剰に反応していた。「私実は好きな先輩がいて...」先輩という言葉に、夕刻の告白に登場した先輩だろうかと気になったが、私は固唾を飲んで聴き続けた。話は続く。「部活やってるうちに男ハン(男子ハンドボール部)に頼れる先輩ができて、関わりを持ってるうちに好きになってきて...。その人と部活終わりにご飯に行ったり、遊んだりもした。私は隠すのが嫌いだからこれだけは言っておきたかった。だから私は今〇〇(私の名前)のことが好きという気持ちはないの。それでもいい?」私は安心した。問題ないと答えた。私は元より多少の夢を見ていたことは認めるが、彼女が私に好意を寄せているとは、思っていなかった。だから、今私のことが好きかどうかなんて構わなかった。これから好きになってもらえたらそれで良かったのだ。このように、彼女が話したことに対して危機感を持っていなかったのである。私は愚かであった。この時にもっと話していればこの後迎えるバッドエンドを未然に防げたのかもしれない。続く

4.夕暮れの告白

彼女は以下のように私に話した。

「一つ聞いて欲しいことがあるんだ。部活のことなんだけどいい?」

もちろん聞いた。彼女はこのような形で私を頼ることはほとんどしなかったので少し意外であり嬉しかった。

「もうちょっとでハンドボール部の先輩が引退するの。だから、今の二年と一年でキャプテンを多数決で決めることなったんだけど、みんな酷い。一回目の多数決で私が一番票を多く集めたのに、二番目の子とその仲の良い先輩がもう一度多数決をとり直そうって言い始めたの。絶対おかしい。おかしいよ。きっとその子たちが仕組んだんだと思う。だから、このことを仲の良い先輩に相談したの。そしたら、仕方がないって......もう私、クラブに仲の良い人少ないから絶対負ける。もう私のことを理解してくれる人なんていないのかも.....。これからどうしたらいいと思う?」
私は困惑した。事が思いの外に深刻そうに思えた。泣いてこそはいなかったがとても苦しそうであった。しかし私には良い答えが思い浮かばなかった。これは意外であり、冴えない私にいら立ちを感じた。今日のために積み上げた私の完璧と思われたメソッドが崩れていく音がした。


   中学の頃、私は怠惰な日常を送っていた。勉強に関しては毎日少ない時間ではあるが続けていた。それ以外に関しては全くダメであった。特に運動はクラスでも中の下くらいで私のコンプレックスの一つである。しかし、私はバスケットボール部に入った。理由は特にない。友達に流されたのだろう。馬鹿であった。そんな理由で始めたのだから当然、日々の練習に身が入るはずもなく、ただひたすら怠ける日が続くだけであった。こういう私を彼女は嫌っていたのだと思う。当時の私は改善する気などさらさら無かった。そして中学時代を終えたのであった。学校は家から自転車で10分で、学力も普通の、いたって普通の学校であった。私は肉体的にも精神的にも脆弱であったのだ。どうしてこんな私に、毎日練習に打ち込み肉体的にも精神的にも私の遥か上を行く彼女の気持ちが分かるのだろうか。いや、分かるはずなど無いのである。そもそも、どうして辛い思いをしてまでキャプテンになりたいのか、どうして毎日過酷な練習に励めるのか、告白された時の私には何も分からなかった。自分が醜かった。
こういうわけで、彼女の問いには答えられず、重苦しい雰囲気になってしまった2人は気づけばすっかり日の落ちた神社に着いた。
「ごめんね。難しいこと聞いて。」

彼女は言った。この言葉は私のプライドをかすかにつつくようであったが、純粋な彼女は気づかないだろう。「あ、綺麗!」朱い楼門がライトアップされていた。確かに綺麗で、二人で写真を撮ろうと僕から提案した。彼女は快く承諾し、写真を撮った。先ほどの重苦しい雰囲気は門の外に忘れたのか、その後は割と普通に話す事ができた。本殿にてお賽銭を投げた後、二人は朱い鳥居をくぐり抜け、奥へ進んだ。私は彼女がどんなことを想って鈴緒を振ったのかが少し気になったが、部活のことが大変と聴いたのを思い出し、それ以上推察するのはやめた。続く

3.デミグラスソース

私たちはまず、鞍馬寺へ向かった。中々の勾配の坂を登り続けたので私はへたってしまったが、できるだけ息が上がっていないふりをした。彼女は少し膝が痛むと言っていたが、大丈夫だとも言っていたのであまり心配しないことにした。並みの絶景を望み、密かに膝を気遣いながら下山し私たちは昼食のオムライスを目指した。出町柳の駅から徒歩数分で到着するオムライスは高校生女子には喜んでもらえる一品だったと思う。しかし量が多く、女子には完食するのが大変そうに思え、残すことを勧めたが、彼女は「食べ物を残すのはよくないよ。そんなことを言うなんて以外ね。」と言った。彼女の正論に私は大いに傷ついたが、確かにこのときの私は過保護と言え、失敗だったと今更ながら思う。しかしながら、また彼女に対して尊敬の意を強めたのだった。この後、彼女は僕が手洗いに行っている間に私の分も含め会計を済ませてしまった。よっぽど朝の私の行動が気に食わなかったのだろう。「お昼くらいは払わせてよね。」彼女は笑みを浮かべながら言った。私は、もう十七になったところであったし、好きな人と出かけるのであったから、あまり気にしてほしく無いところであったが、彼女の性格上誰かに奢ってもらうというのは少し憚るところがあったのだろう。


   その後、私たちは鴨川の河川敷を歩いたり先斗町で写真を撮りながら歩いた。彼女の要望の、清水寺にも行ったが、改修中であの有名な清水の舞台を拝むことはできなかった。それでも産寧坂などのお土産やさんをゆっくりと回り、私の考えた京都鴨川沿いの観光地巡りはいよいよ最後の伏見の神社へ差し掛かった。そのとき、彼女が突然私に打ち明けたのだった。続く

2.幼馴染

   最初に明言しておくが、この文章は実録である。


   アメリカ留学を五日後に控えた同年の三月十日金曜日に遡る。日に日に三寒四温と言える春の近づきを感じられる気温の高い日が多くなってきている中、比較的寒さのきつい日のことであった。なんとなく幼馴染の女の子(ここでの呼び名は彼女と呼ぶ)とLINEで話していた時、彼女はこのようなことを言った。私大阪以外に出かけることなんて滅多にないからどっか行きたいなぁ。私はこう返した。明日どこかへ行こうか。即答した。このことから私は彼女に好意を持っていたということは明らかである。そして断る理由もない彼女は驚きながらもいいと言った。この時の私は、彼女とデートに行けると決まり舞い上がっていた。そして、私は愚かであった。デートに行ってくれるということは多少の私に向けての好意を彼女が持っていると思っていたのである。実際どうなのかは今となっては分からない。

 

   私はその日、早々に翌日の準備をして寝坊をしないよういつもは使わない2つのアラームをセットした。しかし、アラームは無駄であった。設定時刻の1時間前に興奮で起きてしまった。こんなこと今までになかった。私は小学生の頃から遠足の前日は興奮でよく寝れない癖があったのだが、当時高校一年の私は小学生の遠足の時よりも遥かに興奮状態にあったといえる。洗顔をし、ちぢれた毛質の髪の毛をセットしようとするも慣れていなかったので諦め、カバンの中の持ち物を六、七回チェックし、まだかまだかと時計を見ていたのを覚えている。行き先の京都は彼女がどこでもいいと言ったので、私が決めた。なぜ京都かというと、私の親が子供の頃から連れて行ってくれ、私も好きであったからである。そのため、土地勘は優れていたし、有名な店なども知っていたので、まさにホームグラウンドでの戦いだったと言える。そして、多少の自信を持って、今日を楽しもうと純粋な気持ちで京都へと出かけた。


   三月十一日土曜日、当日は春が近づいてきているとは思えない寒さであった。しかし、そんなことはどうでもよかった。私は集合時間の10分前には到着し彼女を待った。それから、集合時間より数分遅れて彼女がやってきた。彼女は幼稚園から中学まで一緒だった幼馴染で、学校では一番可愛い女の子であった。中学ではバレーボールをやっていたが高校(府内有数の進学校)に上がりハンドボールに転向、さらにキーパーをつとめているという。男子のような勇気、勇敢さがそれを可能にしたのだろう。しかし、彼女は身長155cmくらいで小柄で僕にとっては本当に可愛いく思えた。長髪以外魅力を感じなかった私であったが彼女のベリーショートの髪型だけは例外であった。もちろん容姿は私にはもったいないほど整っていて、私が彼女に惹かれる一因になったことは間違いないが、彼女に惹かれた本当の理由は違うところにあった。彼女は中学の頃から部活に打ち込みとても真面目であった。その私には持っていない、同じことに打ち込み続ける精神力に私は惹かれたのだ。尊敬した。一生追いつけないなと思った。


   今日の彼女は全体的に落ち着いた印象を受ける服装をしていた。後に聞くと、京都の雰囲気に合わせたのだという。そういう細かい心遣いも私にはできない。電車に乗ると目的地まで会話が心地よく風景とともに流れて行った。中学卒業から数回しか会わなかったから会話の種が尽きることは無いのだと思う。途中で私が京阪線内乗り放題の切符を彼女の分まで買って、私に払わしてと言ってきたが、もう高校生の男子なのだからこのくらい払わしてと頼んだ。渋々了承したように見えたが、彼女の頑固さはやはり中学の頃から変わっていなかったようで、後々、私は一杯食わされることになった。続く